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From: わてや、わて。 <toyohiro@mediawars.or.jp>
Subject: 今日はお祭り
Date: 1999/01/15 12:11:37

今日は朝から左義長(どんど)祭りの手伝いを19年ぶりに行った。

というにも、地元の青年団に去年から入らされたからだ。
本当は、20〜40歳の長男が対象なのでもっと早く入らないといけないのだが、
任意団体なので拒否し続けていた。
しかし、今年の会長が、職場の先輩なので渋々入った訳だ。
(今年からはもう行かないぞ!)

わてが子供の頃は、14日迄に子供達だけで組み上げ、
15日に燃やす時に大人に同伴してもらってたのでその手伝いだろうと思っていた。

しかし、最近は、子供達だけで組めないそうで、
子供達の親が造っていると嘆かわしい情報もあった。

現実には、神社に行くと芯柱と三又の竹が立っていた。
なにも出来ていなかった。
今年は、15日の直近の日曜日が遠かったので親達も何もできていないそうだ。

昼から燃やすので、早急に造らないといけない。
(わての頃は、早朝4時点火だった。)
藁と竹を芯に巻き付けていると長老派(戦前戦中派)がやって来て、
作り方が甘いと激を飛ばす。
この中の一人に一番うるさい消防団長がいるのだが、
この親父は実に憎めない親父なので皆、言うことを聞く。
と言うのも、この親父、激にユーモアがあるからだ。
竹を反対に刺して手を抜いている者を見ると、
「竹が(さかさまだと)えらがるから、ちゃんと刺せ。」とか、
「ちょっと税金納めよけー。(休憩して、煙草でも吸おう)。」とか
「本格的に税金納めよか(缶ビール飲んで休憩しよう)。」と名言を吐くのである。

とりあえず、又、ばらして指導のもと造り直した。
わてらの子供のころには、機械化農業が進んでいたので
農家にわざわざ翌年の祭り用の藁をとっておいてくれる様たのんでいた。
稲刈機に稲を通すと藁が分解されてしますので、
頼まれた農家は、祭り用にわざわざ手で稲を刈り取ってくれていた。
迷惑な話しだったろう。
今年は、台風7号、10号と長雨のため、稲がひどく倒葺し
稲刈機が使えない田があったこともあってか、今年は、以上に藁の供出が多かった。

全高9mの芯(竹3本)に直径5m高さ6m程に藁と竹と一緒にお札やしめ縄を巻き込んだ。
わてが大将の頃は藁は4m程度の高さで、
(当時のは、芯15mはあった。芯の高さに皆、価値を求めていた。)
その時、今日来ていた役員さんが「中身がスカスカやのー。」と言っていたが
当時、意味が分からなかった。

今日、造ってようやくその時の意味が分かった。
わてらの代が造った物と見た目は殆ど、むしろわてらの方がバランス的に格好いいのだが、
今日は、一つ一つの作業が丁寧で意味がある作業だ。作業に意味を再発見。
落とした藁屑は、一緒に燃やすなという徹底ぶり。
長老派は周囲の掃除もやっていた。わてらこんなことせーへんた。

4mから5m付近は、若手のわて(今日の最年少)が梯子をのぼり組むはめになった。
それでも今年は、藁が余ったのでもって帰ることにしようとしたが、
まだ上に積めるだろうという話しになり、青年団の役員が梯子を登り、藁を積むのかと思いきや、
なんと左義長の中に入って(上にの登って)藁を積み込み始めた。
この光景には、長老派も大喜び。
「一緒に燃やしたるわ。」と褒め言葉が飛んでいた。

今日の午後1時30分に点火予定である。
いつ迄、この文化が伝承できるであることか…。