<韓国・100万人集会>100万の叫び声、新たな歴史を作る(2) | Joongang Ilbo | 中央日報

魯迅の比喩である「水に落ちた犬は打て(打落水狗)」に躊躇するのはやめよう。噛み付いた犬を助ければまたわれわれに噛み付くことになるから。フェアプレイの代わりに彼らを職から辞めさせることに集中しよう。それが賢い歴史的前例になるだろう。今こそわれわれの生涯に最も大きな月が浮び上がろうとしている。光化門ビルの間に、やや欠けた月が浮いていた。もうすぐ雲海から白い満月に乗ったセウォル号の花のような幼い魂がゆらゆらと踊りながらわれわれを見下ろすことだろう。

情報源: <韓国・100万人集会>100万の叫び声、新たな歴史を作る(2) | Joongang Ilbo | 中央日報

南鮮のことわざに「水に落ちた犬は叩け」とあるのは分かっていたが、多くの人は「弱ってる者に追い打ちをかけて潰せ」と南鮮人が残虐非道な考えを持っていると捉えているが、魯迅の言葉とは知らなんだ。

聖書にも「豚に真珠」と、似たような言葉がある。豚に真珠を投げると、奴等はそれを踏みにじり、やがて向き直って噛み付いてくると書かれているが、要は価値の分からない者に良いことをしても意味が無いと説いている訳だ。

IMFの通貨危機の時、米国に「助けるのを止めろ」と言われるまで、日本が最後まで助けていたが、奴等は何と言ってるかと言えば、「日本のせいで通貨危機になった」である。

まさに水に落ちた犬を助けて、噛み付いて来た訳だが、通貨スワップで助けても、噛み付いてくるから、水に落ちた南鮮は叩かないといけないね。 🙂