韓日首脳会談:「韓国を見下す日本」と「日本を避ける韓国」の神経戦

 しかし、こうした日本の姿勢に対しては「実際に韓日関係を改善しようとしているのではなく、『韓国と仲良くしようとしているのに、韓国の方が避け ている』と米国に見せるための『外交上の演出』との見方が多い。

おや? やっとご理解いただけましたか 🙂

米国が北朝鮮のせいで日韓連携して米国の安全保障に貢献しろと圧力をかけていて、南鮮が「日本のせいで連携できない」と吹聴するから、仕方なく「そうではありませんよー」って言ってただけ。

南鮮と仲良くしたところで、日本にとって得になる事は一つも無いからねえ 🙂

韓国外交部(省に相当)で次官を務めた金聖翰(キム・ソンハン)高麗大学教授は「対話を要求し続 けてきた安倍首相は『真実の瞬間』に直面するだろう」と言った。

情報源: 韓日首脳会談:「韓国を見下す日本」と「日本を避ける韓国」の神経戦

『真実の瞬間』って、昔なら宮沢喜一あたりが、南鮮の言う事が嘘か本当か分からない状態で、本当の事と信じて謝った訳だが、今となっては最初から嘘と分かってるから、全然堪えないよねえ 🙂

“韓日首脳会談:「韓国を見下す日本」と「日本を避ける韓国」の神経戦” への4件の返信

  1.  遙か昔から厄介事しかございませんしねぇ・・・(((;´_`)
    「見下している」のではなくて、現実を見据えているだけなのですけども。

     ↓↓
    『 「日本書紀」に引用の「百済本記」より。

     (原文)
     【 三年春二月、遣使于百濟。百濟本記云
      「久羅麻致支彌、從日本來。」未詳也。
      括出在任那日本縣邑百濟百姓浮逃絶貫三四世者、
      並遷百濟附貫也。 】

     「春二月に、使いを百済に遣わす。(本注:百済本記に曰く、久羅麻致支彌(くらまちきみ)日本より来るといふ。未だ詳らかならず。) 任那の日本の県邑(あがたのむら)に在(はべ)る百済の百姓の、浮逃(に)げたると、貫(へ・戸籍、本貫)絶えたるとの、三四世なりたる者をさえ括(ぬ)き出して、並びに百済に遷して、貫に付く。」(継体紀三年条、509年)

     久羅麻致支彌(くらまちきみ)は6世紀前半の百済への使者である。百済本記に「久羅麻致支彌は日本から来た」とあり、継体天皇3年(509)に派遣された日本人。任那の日本県(やまとのあがた)村に逃亡してきて戸籍の無くなった百済人を本国に送還し戸籍につけたとされる。

     この時期、百済の斯麻(武寧)王は即位したもののたいへん苦しい状況にあった。長年にわたる高句麗・新羅からの圧迫によって百済の民は任那に逃げていた。そこで久羅麻致支彌が任那に派遣され、三・四世代にまで遡って百済の民を探し出し本国へ返したという事なのであろう。 』

    → 継体天皇(十一)耽羅人が初めて百済国と通う http://nihonsinwa.com/page/1554.html

  2. 百済と新羅は日本の属国でしたが、百済は書いてあるとおり、高句麗と新羅の圧迫を受けて、民は酷い目にあっていたので任那へ逃げてくるのもしょうがないと言えばしょうがないですのう。

    百済は今の朝鮮人とは民族的にも違いますし、話している言語も違いますから、一緒にするのも百済人には迷惑でございましょう。

    日本には百済ゆかりの言葉が継承されてますな。百済(くだら)とか、新羅(しらぎ)とか、どう考えてもそうは読めない読み方です。

    あと、村主(すぐり)とかもありますが、これらは亡命百済人がその読み方を伝え、継承されているもので、朝鮮半島には無いものです。

    この事実が非常にマズいのか、近年の歴史教科書ではクダラではなくヒャクサイなどと読ませてたりしますが、これは現代朝鮮語の読みであるペクチェと辻褄が合うようになっています。

    しかしながら、民族的にも言語的にも百済人と朝鮮人とは全く何の繋がりもございませんので、朝鮮人が「日本に文化を伝えてやった」という嘘を本当の事にする為に、その痕跡を消そうと南鮮に都合の良い歴史改竄はいけませんのう。

  3.  んー・・・やはり支那の諸文献にも「文身す」とある通り、あの時代以前の半島民の多くは縄文文化の流れを汲む「渡来倭人(出雲族出身者)」だったのであろう事は、近頃の検証で随分と明らかになってまいりましたね。

    稲作文化も「日本(北九州・裏日本)→朝鮮半島渡来」な事も判ってきてございまするし。

    不肖、私めも最近あれやこれやと収集中でございます( ~_△_)~

    → 古代朝鮮半島地域の「建国神話」の数々:建国神話なんていうものは大方嘘だろうヨ。http://quasimoto.exblog.jp/21169684/

    → 東邦異聞録 不確かな日本の古代史 http://sundaymorning10.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-358b.html

  4. モンゴル史研究家の宮脇淳子さんが、モンゴル史と絡む支那朝鮮の歴史を調べて、支那は書物が残っているけど、朝鮮の歴史は何も書物が残って無いので本にしようが無いと嘆いてましたな。

    調べるにしても、支那と日本の歴史書から読み解いて、「朝鮮半島でこういう事があったらしい」程度の事しか分からないとか。

    つまり、朝鮮で「ウリナラの偉大なる歴史」とか吹聴しているやつは全て空想ファンタジーと思って良いのです 🙂

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