毎年10月になると韓国人は隣国・日本のノーベル賞受賞の便りに羨望と相対的剥奪感を感じる。いつごろになれば韓国からも科学分野のノーベル賞受賞者が出てくるのだろうか。筆者はこの質問に非常に肯定的な立場だ。
このように自信を持つ1つ目の理由は、科学技術界の事情を相対的によく知っているためで、2つ目の理由は「ヤン・ジョンモ事例」のためだ。筆者は韓国のノーベル賞のことを話すたびに「ヤン・ジョンモ選手を知っているか」と質問する。ヤン選手を知っている最近の学生は一人もいなかった。反面、ほとんどの大人はヤン選手のことをよく覚えている。
1960~70年代、韓国人の夢はオリンピック(五輪)金メダルだった。故孫基禎(ソン・ギジョン)選手は1936年ベルリン五輪マラソンで金メダルを取った時の感激と太極旗の代わりに、日章旗を付けるほかなかった暗鬱の時代状況を回顧した。そうしているうちに、1976年カナダ・モントリオール五輪でヤン・ジョンモ選手が解放後初めて金メダルを取った。当時の号外新聞のタイトルは「民族の念願が叶う」だった。
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情報源: 【時論】韓国が「ノーベル科学賞」日本を追い越す自信を持つ理由 | Joongang Ilbo | 中央日報
また、ノーベル「症」の季節がやってきました 🙂
「相対的剥奪感を感じる」ってのが朝鮮民族らしいところで、実力も能力も無い癖に、「本来は自分が受けるはずの栄誉を日本に奪われた」と考える所で、身の程をわきまえるという事を知らない。
書いてる内容はバカバカしくて真面目に読むのは時間の無駄だけど、オリンピックと同列視するあたりがノーベル賞が取れない理由を物語ってると思うな。
ナンバーワンよりオンリーワン♪ってやつだしな。
まあ、どこかの高校でノーベル賞を取った時に像を飾る台座を作ったり、ノーベル賞が喉から手が出るほど欲しいけど、ノーベル賞が貰えるのは金になる研究をやる事じゃないから、その日暮らしの南鮮にとっては最も相性が悪いんだな。
しかし、日本に対抗心を燃やすのは鬱陶しいから止めて欲しいなあ 🙁