思い出した事

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」1巻を読了。
2巻購入して読み始め。

主人公がぼっちで、人の悪意に怯え、裏にある意図を読み取ろうとするという事に共感すると以前書いた。

そして、わしはいつからこうだったのか? と過去の自分の生き様を振り返り、中学時代を思い出した。

親しかった友人が、Yという奴と付き合っていた。友人はYの事が好きだったようだが、なぜか振られたみたいで、なぜそれが分かったのかと言えば、Yがわしに告白してきたからだ。

この時点で、わしは自分の価値を正確に理解していた。 🙂
何か裏があるのではないかと考えたわしは、一つの仮説に辿り着き、OKして付き合う事にした。

Yは容姿端麗の可愛い部類に入るが、別にわしは好きでは無かった。
そして、Yもわしの事は好きではないとわしは判断していた。

付き合い出した事で、友人が一人離れ、ある者は椅子に画鋲を置くなどの嫌がらせをしてくるようになった。さすがY、好かれてるねえ。

お互い好きでも無いのに、偽の恋人ごっこをやってて楽しい訳もなく、ペットが死んで、何もかもバカらしくなり、わしはYに別れを告げたが、その後、Yはわしの親しい友人に告白した。

さて、これは一体どういう事なのかと言うと、Yは振った奴や振られた奴の親しい友人に告白をして、仲違いをさせて復讐していたのだ。

わしはYの思惑に踊らされる事なく、友人とはその後も変わらず付き合っていたので、多分、思い通りにならずにくやしがった事だろう。

わしの仮説は正しかった。ただ、当時、わしは、女の子というのは「好き」と告白する事をもっと大事にすると思っていたが、この下衆な精神性にはただただドン引きで、女子への幻想を打ち砕かれたのである。

もっとも、自分の仮説の正しさを確かめる為に好きでもない女の子の告白にOKするってのは、我ながら下衆だなと思う。

まあ、結果的に仮説の正しさを証明でき、相手も好きではないのに告白する下衆だと見抜いていたから良心の呵責など全く無い。

しかし、「もし本当だったら」とか判断に迷い、感情に囚われていては「敵の意図」は見抜けなかっただろう。

感情が理解できないから正しく見抜ける事もある。
感情が理解できないから意図が分からない事もある。
正確な現状分析って結構難しいものだ。