(台北中央社)親日家として知られる李登輝元総統が30日夜、敗血症性ショックや多臓器不全のため台北市内の病院で死去した。97歳だった。日本統治時代の1923年に台北州淡水郡三芝庄(現在の新北市三芝区)に生まれた李氏。皇民化政策の一環として展開された改姓名運動に従い、岩里政男と日本名を名乗った。「22歳までは日本人だった」と公言するなど、日本とのゆかりは深い。李氏と日本との関係に焦点を絞り、その歩みを振り返る。
情報源: 李登輝元総統死去 日本とのゆかり深く/台湾 | 政治 | 中央社フォーカス台湾
ご冥福をお祈りします。
小林よしのりの本に書いてあったけど、李登輝さんは、難しい概念を考える時は、今でも日本語で考えると言っていた。
「22歳までは日本人だった」というのも、「なぜ日本は台湾を見捨てたのか?」と言われているようで耳が痛い。
台湾領有の経緯も、遭難した日本の漁民が原住民に殺害され、清国に賠償を求めたら、「化外の地」だから自分達には関係無いと言ったので、日本は討伐隊を差し向けて制圧し、台湾を帝国新領土にした。
無主の地を領土編入したのだから、放棄するのはおかしいのだが、講和条約で、侵略の結果取得した領土とされてしまい、放棄させられ、結果的に台湾人を見捨てる事になった。
だから、元日本人と言っている台湾人が、日本に媚びへつらってる訳では無く、同じ日本人だったのになぜ見捨てたのかという思いがあるというのを忘れてはいけない。